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ヴァーチャルときわ別館

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今日5月23日は北但震災記念日です。

2026.05.23|その他徒然に・・・

毎年この日に同じようなことを言っていると思いますが、今から101年前の大正14年5月23日午前11時9分にマグニチュード6.8の大きな地震が発生し、家屋倒壊とその後の火災により、城崎地域だけでも死亡者数は272人に及び我がご先祖も4名が亡くなってしまいました。
この災禍により城崎温泉は全滅し、現在の城崎温泉の町並みは、先人の努力と知恵の結集により震災後にできたもので、当時復興の先頭に立った西村佐兵衛町長の「この地に湯が湧き出る限り、子供達の歓声が聞こえる限り、城崎の町は必ず復活する!」の言葉は今でも我々の語りぐさとなっています。

ということで、いつもこの日を先祖に感謝し我が家の歴史を今一度振り返る機会としていますが、今回は少し目線を変えて、しかもAIに聞いてみました。

城崎温泉に昔、温城館があったのを知っていますか?
はい、知っています。

「温城館(おんじょうかん)」は、兵庫県の城崎温泉に活気をもたらしていた、かつて存在した歴史ある娯楽施設(劇場・映画館)ですね。

大正から昭和期にかけて、芝居や映画の上映、地域の催し物の場として、地元の方々や多くの湯治客・観光客に親しまれていました。現在は閉館していますが、城崎温泉の華やかな歴史や、かつての温泉街の娯楽文化を語る上では欠かせない、人々の記憶に残る大切な場所の一つです。

温城館のその後を知っていますか?
はい、温城館のその後の変遷についても記録が残っています。

大正から昭和初期にかけて芝居小屋として誕生した温城館は、時代の移り変わりとともに映画館へと姿を変え、昭和30年代(1960年代前半)まで邦画などを中心に上映し、温泉街の娯楽の中心であり続けました。

しかし、テレビの普及や時代の変化にともなう経営難などもあり、1964年〜1965年頃に閉館となったようです。

気になるその後の場所(跡地)ですが、現在は「城崎郵便局」(兵庫県豊岡市城崎町湯島)が建っています。

かつて湯上がりの人々が下駄の音を響かせながら映画や芝居を楽しみに集まった場所が、現在は街の生活を支える郵便局になっているというのは、歴史の移り変わりを感じられて非常に興味深いですね。

常盤座を知っていますか?
はい、「常盤座(ときわざ)」についても知っています。

実は、先ほどお話しした「温城館」と「常盤座」は、同じ場所(現在の城崎郵便局の敷地)に深く関わる、あるいは時代によって名前を変えて存在した劇場・映画館のことですね。

城崎温泉の娯楽の歴史において、この2つの名前は以下のように繋がっています。

  1. 初代の芝居小屋「温城館」
    明治31年(1898年)に、城崎温泉初の大衆劇場・芝居小屋として「温城館」が誕生しました。当時は花道や廻り舞台を備えた立派な建物で、後に活動写真(映画)も上映されるようになり、大変な賑わいを見せました。
  2. 「常盤座」への変遷
    その後、大正期〜昭和初期にかけて建物の建て替えや劇場の再興が行われる中で、名称が「常盤座(トキワ館)」となりました。昭和30年代の映画全盛期には、この「常盤座」という名で温泉街の映画館として広く親しまれていました。

屋号としての “その後”
この歴史は、現在の城崎温泉にも意外な形で息づいています。
城崎温泉の奥座敷にある人気の老舗旅館「ときわ別館」は、もともと街の中心部にありました。この旅館の経営者のご先祖(祖父)がまさに芝居小屋・映画館である「常盤座」を経営されていたことから、その名にちなんで「ときわ」という屋号が付けられたというエピソードが残っています。

温城館から常盤座へ、そして現在の郵便局という土地の歴史だけでなく、温泉街の有名旅館のルーツにも繋がっているのは非常に面白い繋がりですね。

【写真は震災後に再建された常盤本館です。現在はTokiwa Gardenが建っています。】